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「来たるべき蜂起」  不可視委員会

来たるべき蜂起

「労働の恐ろしさは労働そのものよりも、労働以外のあらゆる物事を何世紀にもわたって徹底的に荒廃させたことにある。労働により、自分の住む界隈や村落、親類関係からは親密さが失われ、職業はよそよそしいものとなり、闘争は縁遠いものとなってしまった。場所や存在や季節に対する愛着は破壊され、人びとはいまや自分の振舞いや話しぶりにすらこだわりを持たない」

「ここに今日的なパラドックスがある。すなわち、労働が他の生存方法を凌駕し勝利したその時、労働者が余剰物になってしまったという点である。生産性の向上が謳われ、生産の脱地域化、機械化、オートメーション化、そしてデジタル化が果てしなく推し進められた結果、商品製造のために物理的な生きた労働はほとんど必要とされなくなった。私たちが生きているのは労働が存在しない労働者社会というパラドクスである」

「生産の根拠を失ったこの社会において、支配的な営為になりつつあるのは、自分自身を生産することである。あたかもアトリエを奪われどうしようもなくなった家具職人が、自分をかんなで削りはじめるようなものだ」

「われわれが生活しているこのよそ者同士の集合を「社会」と呼ぶことは詐称であり、社会学者さえも自分たちが一世紀来飯の種にしてきたこの概念を放棄しようと考えているくらいである。社会学者はいまではネットワークというメタファーを好んで用い、サイバースペース上で孤立した者同士がいかに接続され、「同僚」「交際」「友だち」「関係」「恋愛」といった名で呼ばれる脆弱な相互関係がどう取り結ばれるのかについて記述する。だが、そうしたものをネットワークと呼んだところで、それらは結局のところひとつの界(ミリュー)として固着してしまう。そこではコード以外何も共有されず、アイデンティティの絶え間ない再構築が行なわれるだけである」

タタキ文句どおり、たしかに「取り返しがつかないほど正しい」。
ジョイフルな本ざます。


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「不快という貨幣」 内田 樹

http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php

現代の子どもがその人生の最初に学ぶ「労働価値」とは何か?
それは「他人のもたらす不快に耐えること」である。
(中略)
現代日本の典型的な核家族では、父親が労働で家計を支えているが、彼が家計の主要な負担者であることは、彼が夜ごと家に戻ってきたときに全身で表現する「疲労感」によって記号的に表象される。ものをいうのもつらげに不機嫌に押し黙り、家族のことばに耳を傾ける気もなく、自分ひとりの快不快だけを気づかっている人間のあり方、それが彼が「労働し、家族を扶養している」事実の歴然とした記号なのである。
これに対して主婦は何を労働としているのか。
(中略)
育児を除くと、「肉体労働」に類するものは家庭内にはもうほとんど存在しない。育児から手が離れた主婦が家庭内において記号的に示しうる最大の貢献は「他の家族の存在に耐えている」という事実である。
現代日本の妻たちがが夫に対して示しうる最大のつとめは「夫の存在それ自体に現に耐えている」ことである。
(中略)
この苦役の代償として、妻たちは夫婦の財産形成の50%について権利を主張できる。
現代日本の家庭では「苦痛」が換金性の商品として流通しているのである。
子どもたちも事情は同じである。
彼らは何も生産できない。生産したくても能力がない。
(中略)
彼らに要求されるのは、「そんな暇があったら勉強しろ」とか「塾に行け」とか「ピアノの練習をしろ」という類のことだけである。
これらはすべて子どもに「苦痛」を要求している。そこで彼らは学習する。
なるほど、そうなのか。
(中略)
両親は私にさまざまな苦役に耐えることを要求するが、それはそれが私にできる唯一の労働だからなのである。苦役に耐えること、他人がおしつける不快に耐えること、それが労働の始原的形態なのだ。
という結論に子どもたちは導かれる。

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「羽鳥ヨシュアの話」 呉 智英

別冊宝島「実録!サイコさんからの手紙」1998 より
マンガ家・羽鳥ヨシュアの話

                  *

「夜行」編集者の助言と世話で小さな古本屋を開いた。だが、それもすぐに行きづまった。
    
ある時、羽鳥ヨシュアは自殺をほのめかすことを言った。「そのときすでにただの冗談ではないと気付いていた」と、権藤晋は書いている。それからしばらくして、羽鳥は本当に自殺した。

その日のことを権藤はこう書く。
「三時頃、羽鳥さんが編集室のガラス窓をたたいていた。妙に真剣な顔をしていた。入るように合図すると、入ってくるなり、明日死にます、と憤怒の形相で言った」

権藤晋達が他の来客に気を取られていると、「じゃあ、とだけ言って出ていってしまった。私は追いかけようかと迷ったが、やめた。もう手遅れなのだと悟った。それから二時間後に、渋谷警察署から電話があった」。渋谷のビルから投身自殺をしたのである。

これを読んで私が9割の怒りを感じたのは、権藤晋たちが羽鳥ヨシュアを殺したようなものだからである。それも、羽鳥に冷たくし、突き放したから、自殺したのではない。むしろ逆である。
その暗い陰険なマンガを掲載し、喫茶店で夜遅くまで議論につき合い、小さな古本屋開業の世話までし、その結果、羽鳥はもう「平凡な世界」には戻れなくなって死んだのである。

私が1割の自省の念を感じたのは、この種の罪深さに私も無縁ではないからである。評論家は最も残酷な鑑賞者かも知れない。一顆のダイアモンドの輝きのために削り取られたクズを顧みることはない。私はこの罪深さを覚悟している。しかし、権藤晋にはこの覚悟がない。
(中略)
ある精神科医とこんな話をしたことがある。
個性的な絵を描く吉外の青年がいたとしよう。というより、吉外はえてして個性的で独創的で衝撃的な絵を描くものだが、そんな時、私が彼の中学か高校の教師だとしたら、どんな指導をしたらいいだろうか。
精神科医は答えた。古典作品の模写をさせるといい。
(中略)
精神科医は言う。
その少年に本当に独創的な才能があるのなら、模写によって身につけた技術ですばらしい傑作をやがて生むだろう。もし、独創的な才能がなかったとしても、模写で身につけた技術は、彼の生活の基盤を作る。それに、模写は社会性・歴史性を獲得させる。自分と他者との関係の取り方がわかるようになる。

独創性、個性、という強迫観念によって刺激された自我は肥大し溢れ出し、本来、それを回収していた「古典の模写」はその機能が眠りこんでいる。溢れでた自我は、手紙となり、投稿となり、持ち込みとなり、自費出版となり、日本全土を夢の島に化そうとしているように見える。

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「あいつは最低の人間でした」  高田渡の長男

『実録!あるこーる白書』より

・ 西原理恵子
「日本人は死んだ人の悪口言わないような習慣があるでしょ。でもね、ちゃんと言っとかないと後々大変なことになるんですよ。
そういえば吉祥寺の公園側で、いつも高田渡さんがニヤニヤ、ニヤニヤお酒を飲んでて、まるでアル中の神様みたいだったんだけど。お葬式のときに、長男さんが、「これから父親は伝説になってみんなに語り継がれていくでしょう。みんなに愛された男でした。でも、息子からひとつだけ言わせてください。あいつは最低の人間でした」って。
あたし、それ聞いたとき泣きながら「そーそー」と思って……ああいう人たちって、ほんっと外面はいいんですけどね」
      
・ 月乃光司
「ドキュメンタリーをやると『支えていた周りの人々』が美談として紹介されてしまうでしょ。厳しい言い方をすれば、周りの人々が支えていたから死ぬまで飲んだんですよ」

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「倫理の効果はサイズによって決まる」 内田 樹

http://blog.tatsuru.com/2012/01/12_1128.php

倫理がきちんと機能するかどうか、それを決定するのは、実は「サイズの問題」なのである。
どこまでを「倫」(なかま)に含めるか。
それについてある程度筋の通った基準を決めておかないと、「理」は働かない。
倫理の有効性は、まことに身も蓋もない言い方をすれば、「その利害を優先的に配慮し、その人たちと共生することが自然な情理にかなっているように思える集団のサイズ」を適正にみきわめられるかどうかにかかっている。

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2017-03

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朕

Author:朕
アザブジュバ~ン。朕ざます。
朕は、麻呂や主のようなものざます。
東京都在住。朕&ドーター&ボーイ。3人暮らしの朕ざます。

 

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