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死にたくない、以外


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・最後の人間  (浅田彰 「歴史の終わりと世紀末の世界」1994)

歴史的闘争から解き放たれ、安逸と退屈のなかで凡庸な消費者になりさがってしまう人間のこと。
すべてのパターンがすでに既知になったのだから、それを適当に引用してリミックスして消費していく姿が再現なくリプレイされていく世界を当然視する。
コジューブ (フランスの哲学者) にしたがって、物質的に充足されたなかで惰眠をむさぼる 「アメリカ的動物」 ともっぱら無意味な形式と反復と洗練に没頭する 「日本的スノッブ」 に分けることができる。
人間は死を賭けることができるからこそ人間であり、戦争はそのための最高の試練であるが、核の出現とともに、人間が人間であるために必要な戦争が不可能になってしまったことと、最後の人間の出現は、密接に関係している。
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90年代当時、「もっぱら無意味な形式と反復と洗練に没頭する日本的スノッブ」 としてイメージされていたのは、いわゆるサブなカルチャーの消費者。
すなわち、 文芸/音楽/映画/マンガ・アニメ/オカルト/ゲーム/パソコン/ガジェット/カー・ライフ/鉄道/スポーツ/D I Y/ヘルシー/グルメ/ペット/癒し/ギャンブル/ジャンキー.........エトセトラ エトセトラ。
しかし今や、大ニッポン会議やリベラル会議などなどが、その範疇の代表格かも。

阿部ちゃんやともちんが消えても、「最後の人間」 が消えるわけではない。
阿部ちゃんやともちんが消えて、石破さんとかになっても、「最後の人間」 が消えるわけではない。
阿部ちゃんやともちんが消えて、民進党政権や共産党政権になっても、「最後の人間」 が消えるわけではない。

《動物の無意味な没頭》 から脱出できるわけではない。



                  *

いま現在ヒューマンには 「死にたくない」 以外に生きている理由がありうるか?
それはイコール、いま現在ヒューマンに思想信条はありうるか? ということざます。

思想信条とは、死んでもゆずれない価値感や美意識ざます。
死んでもゆずれない価値感や美意識がなければ ── 「死にたくない」 だけだったら ── ヒューマンがヒューマンである必要はない。

というわけで、クエスチョン・ワンス・アゲイン。
いま現在ヒューマンはヒューマンでありうるか?
もちろん、ヒューマンはヒューマンであらなければならない、動物であってはならない、という決まりはありません。

(「死にたくない」 は、もちろん、子孫たちの「死にたくない」も含みます。う~ん、朕っていじわるだなあ.....)

三島由紀夫

(おまけ1)
死んでもゆずれない思想信条は、実は身近なところに結構ある。
イスラム国やオウムや億万長者や名声や整形やダイエットやストーカーや過労死や無理心中......などに代表される小規模(!)な宗教。

(おまけ2)
「死にたくない」 だけだったら人権って必要か? という話でもある。





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オーチン・ハラショー。朕ざます。
朕は、麻呂や主のようなものざます。
東京都在住。朕&ドーター&ボーイ。3人暮らしの朕ざます。

 

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